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神戸地方裁判所 昭和56年(行ク)5号 決定

申立人 有富孝 外三〇四名

被申立人 尼崎市教育委員会

主文

本件申立をいずれも却下する。

申立費用は申立人らの負担とする。

理由

第一  申立人らの本件申立の趣旨及び理由は別紙(六)廃校処分等執行停止申請書、別紙(七)申請の一部変更申立書及び別紙(八)反論書のとおりであり、被申立人の意見は別紙(九)意見書及び別紙(一〇)意見書(第二)のとおりである。

第二  当裁判所の判断

本件疎明資料並びに申立人らの申立及び被申立人の意見の全趣旨を総合すると、一応次の事実が認められる。

一  尼崎市立御園小学校廃校に至る経緯

1  尼崎市立御園小学校(以下、単に御園小学校という。)は、昭和二六年四月、戦後の復興に基づく人口の急増に対処するため余儀なく実施されていた尼崎市立竹谷小学校(以下、単に竹谷小学校という。)の二部授業を解消するために設置されたものである。その後、昭和三一年四月、尼崎市立開明小学校(以下、単に開明小学校という。)の二部授業を解消するため、同校の校区の一部が御園小学校の校区に編入された。その結果、後記6の規則改正に至るまでの御園小学校の校区は、(1)昭和通三丁目乃至六丁目、(2)昭和南通三丁目乃至六丁目、(3)神田北通一丁目乃至五丁目、(4)神田中通一丁目乃至五丁目、(5)神田南通一丁目乃至二丁目、(6)西御園町、(7)建家町一番地乃至一一二番地、(8)寺町、(9)汐町と定められていた。

2  尼崎市の人口は、昭和四五年を頂点として、以後は全体としては漸減の傾向が続いているが、国鉄東海道線より北の地域(以下、北部という。)の市街地化の進行に伴い、従前人口の多かつた同線より南の地域(以下、南部という。)から北部への人口移動が増大し、その結果、北部では昭和五三年頃まで人口の増加が続いていたのに、南部では昭和三八年頃から人口の減少が続いており、このような人口動態は小学校に通う児童数に反映して、昭和五五年五月一日における児童数は南部地域一九一九一人に対し、北部地域三三、九七二人となり、南部においては小規模校が、北部においては極端な過大校が生じるという結果をもたらした。このような南北間の不均衡による学校格差の是正が尼崎市における教育行政の重要な課題となり、各学校の通学区域を改編して学校規模の不均衡と保有施設の不適合を解決する必要に迫られたため、被申立人は、昭和五〇年二月二〇日、学識経験者の中から委嘱した委員等によつて構成される「尼崎市立小学校及び中学校通学区域検討委員会」(委員長薄井一哉、以下、校区検討委員会という。)に対し、「尼崎市立小学校及び中学校の通学区域について調査研究されたい」旨諮問した。

3  校区検討委員会は、小委員会を含めて、二一回にわたり、通学区域の再編成について審議した結果、昭和五二年一二月二一日、被申立人に対し、次の趣旨の答申をした。すなわち、小学校の環境度評価の基本的要因である一学校当りの適正学級数如何の点については、「学級数の判断基準としては、児童の教育的要求にこたえ得ることを第一とし、さらに生活的要求や教職員の教育活動を有機的に組織できるように考えなければならない。具体的な面からみると、教育課程と教育計画の実施を可能にするために、○指導計画の作成面から(時間配当等)、○指導方法の面から(集団訓練等)、○校務分掌分担の面から、○教師の研究体制、資質向上の面から、更に、○学校内及び地域住民とのコミユニケーシヨン、などの諸点から検討しなければならない」、「文部省も標準としては、教育の維持管理、更に教職員の配置効率、補助基準による建設費の経済性などから、全国的には一二~一八学級、都市部では二四学級を適正な規模としているが、本委員会の今日までの調査によると、市街化の進行する急増地域において上記の規模を保つことは非常に困難な状況であり、本市においても、この基準によると約七〇校の小学校が必要となり、実現は不可能といわねばならない。」、結局、「本市においては、二四~四一学級を適正な範囲として、可能な限り三〇学級程度の学級数となるように通学区域の再編制をめざすべきである」とし、学級数を左右する要因として、児童数の増減(五か年推計による)、校地面積(児童一人当たりで評価)、運動場面積(児童一人当たりで評価)、校区面積、通学距離、校区内街区数、等を検討して、各小学校の環境度を評価し、通学区域再編制にかかわる具体的事項として、(1)分離により過大化傾向の解消を図るべき小学校として立花西小学校など七校を、(2)通学区域を一部変更することが望ましいと考える小学校として塚口小学校など一三校を、(3)隣接校と統合することが望ましいと考える小学校として御園小学校、清和小学校の二校を、(4)将来過大化に対し措置を講じておくべき小学校として園和小学校など三校を、それぞれ該当校としてあげている。

4  昭和六五年を目標とする尼崎市総合基本計画は、右校区検討委員会の答申を尊重して、小学校の教育条件の向上を図るため学校規模の適正化という基本方針を打出しているが、右基本計画に基づく昭和五五年度から五七年度までの尼崎市実施計画には、御園小学校と隣接校との適正な統廃合(昭和五六年度)が盛り込まれている。そして、昭和五五年二月二二日、尼崎市長は同市議会に右実施計画を提示し、ついで、同年三月四日、被申立人は御園小学校統廃合に関する方針を公表するに至つた。

5  これに対して、御園小学校育友会などを中心に、御園小学校統廃合反対の運動が展開され、同年六月二三日から同年一一月一二日までの間に申立人ら(御園小学校育友会)と被申立人の間に五回の話合い、さらに同年一一月二六日から同年一二月六日にかけ地元関係者や関係団体等と被申立人の間の話し合いが行なわれた。右話合いにおいて、被申立人らは申立人らに対し学校別児童生徒数及び学級数表の記載のある御園小学校統廃合についてと題する文書(疎甲第二一号証)等を手渡し、御園小学校の児童数減少の推計等を説明したが、申立人らは、合理性がないと主張して納得せず、結局は、申立人らの右統廃合についての同意を得ることができず、話合いは平行線のまま決裂した。

6  被申立人は、御園小学校の統廃合を昭和五六年四月一日から実施すべく、昭和五五年一二月八日、尼崎市立小学校の設置及び管理に関する条例(昭和三九年尼崎市条例第二六号)の一部改正及び受け入れ側隣接校である竹谷、開明両小学校の施設面の条件整備を図るに必要な工事費約二億五千万円についての予算補正を尼崎市長に申し出るについての議決を行ない、同月九日、同市長は右条例改正及び補正予算案を一二月の尼崎市議会定例会に提案し、同月二三日、右各議案は可決され、改正条例は翌二四日公布された。そして、昭和五六年一月三一日尼崎市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則(昭和四九年尼崎市教育委員会規則第一六号)の一部が改正、公布された。右改正の結果、統廃合後の竹谷小学校及び開明小学校の新校区は別紙(一)のとおりとなつた。

7  被申立人は、右規則改正を受けて、同年一月三一日、申立人らの被保護者である申請書別紙「児童氏名とその保護者」一覧表(一)一及び同一覧表(二)一昭和五六年度新一年生欄各記載の各児童の昭和五六年四月一日以降就学すべき小学校として各表記載の小学校を各指定通知し(以下、上記二者を本件就学校指定処分という。)、また、同年二月一〇日、申立人らの被保護者である同一覧表(一)の二乃至六、(二)の二乃至六昭和五六年度新二年生乃至新六年生各欄記載の各児童(但し、同一覧表(一)二、(一)六申立人保護者岡島末広、岡島佐江子、同一覧表(一)六申立人保護者小枡博こと小升博、小枡勝子こと小升勝子についての部分は除く。)の昭和五六年四月一日以降就学すべき小学校として各表記載の小学校への就学指定校変更通知(以下、本件就学指定校変更処分という。)を行なつた。さらに、被申立人は、同一覧表(三)記載の保護者たる申立人らに対しては、その児童らが障害児であることを考慮して従来から校区にとらわれることなく就学すべき学校を指定してきたところから、そのころ、区域外通学許可申請書用紙を交付したが、右申請がなされなかつたので、同年三月一四日、当該児童の居住地を校区とする申請書別紙児童とその校区の学校現籍校記載の各小学校への就学指定校変更通知(以下、本件障害児に対する就学指定校変更処分という。)をした。

8  被申立人は、同年二月一三日、兵庫県教育委員会宛に御園小学校廃止届出書を提出した。

9  被申立人は、申立人岡島末広、同岡島佐江子の児童岡島広志、岡島真理については、同年二月二日、申立人岡島佐江子及び岡島広志、岡島真理の住所が本件統廃合による変更後の竹谷小学校の校区である神田中通五丁目二〇〇番地(但し、旧御園小学校の校区にあたる)に転居していることが判明したため、同月一七日付で、竹谷小学校へ就学すべき旨の就学指定校変更処分を行なつた。

10  被申立人は、申立人小枡博こと小升博及び同小枡勝子こと小升勝子の児童小枡繁こと小升繁については、同年二月八日同申立人小升博及び児童小升繁の住所が本件統廃合による変更後の竹谷小学校の校区である尼崎市神田中通三丁目六〇番地(但し、旧御園小学校の校区にあたる)に転居していることが判明したため、同月一〇日付で、竹谷小学校へ就学すべき旨の就学指定校変更処分を行なつた。

11  被申立人は、申立人大山哲司こと李相鉄、同大山順子の児童大山泰代こと李泰熙及び申立人高木徳洋及び同高木日出子の児童高木孝造については、いずれも、前記開明小学校に就学すべき旨の就学指定校変更処分をなしたところ、それぞれ区域外通学許可申請がなされたので、これらを相当と認め、児童大山泰代については、同年三月一一日に、児童高木孝造については同年三月一七日に、それぞれさきの開明小学校に就学すべき旨の就学指定校変更処分を取消し、竹谷小学校に就学すべき旨の就学指定校変更処分を行なつた。

12  被申立人は、申立人四方盛夫及び同四方玲子の児童四方教裕については、同人らが、同年三月九日、本件統廃合前からの竹谷小学校の校区である尼崎市玄番北之町五番地に転居したため、同日、前記開明小学校に就学すべき旨の就学指定校変更処分を取消し、竹谷小学校に就学すべき旨の就学指定校変更処分を行なつた。

13  申立人新谷利子及びその児童新谷光晴、同新谷美津子は、同年三月二〇日、兵庫県西宮市深津町一〇三番地へ転出した。

14  申立人らは、被申立人を被告として、御園小学校廃止処分(以下、本件廃校処分という。)の取消並びに本件就学校指定処分、本件就学指定校変更処分、及び、申請書別紙「児童氏名とその保護者」一覧表(三)記載の各児童の昭和五六年四月一日以降就学すべき小学校に関して「昭和五六年三月三一日までに尼崎市立竹谷小学校への区域外通学許可申請書を提出しなければ就学すべき小学校は児童の校区に該たる申請書別紙『児童とその校区の学校』である」と指定した各処分の取消を求めて、昭和五六年三月九日神戸地方裁判所に対し廃校処分等取消訴訟(当庁昭和五六年(行ウ)第九号事件)を提起し、同時に本件執行停止申立を行なつた。

15  なお、関係申立人らは、昭和五六年三月二五日付「訴の一部変更申立書」を提出して(当庁昭和五六年(行ウ)第一三号事件)児童大山泰代、同岡島広志、同岡島真理、同高木孝造、同小升繁について、各就学指定校変更処分の取消を求める部分を、各昭和五六年四月一日以降就学すべき小学校として尼崎市立竹谷小学校と指定した処分の取消を求める趣旨に、また、申請書別紙「児童氏名とその保護者」一覧表(三)記載の各児童について、各就学指定校変更処分の取消を求める部分を、各昭和五六年四月一日以降就学すべき小学校として申請書別紙「児童とその校区の学校」記載の各学校と指定した処分の取消を求める趣旨に、各変更する旨、申立て、あわせて、本件執行停止申立につき、申請の一部変更の申立をした。

二  まず、申立人らの本件申立中、本件廃校処分の効力の停止を求める部分の適否について検討する。

被申立人は、公の施設である学校の廃止の決定そのものは、条例の制定、公布により完結する地方議会の立法行為であり、教育委員会の権限に属しないところ、申立人らの被申立人を被告とする本件廃校処分の取消を求める本案訴訟は、当該改正条例の議決乃至その公布を対象とするものと解するほかはないから、被告適格を欠き不適法であり、したがつて、本件申立中、本件廃校処分の効力の停止を求める部分は不適法であると主張する。

申立人らが取消を求める本件廃校処分なるものが被申立人のいかなる行為を指すものであるかは必ずしも明確ではないが、その反論書並びに申請の理由補充書の記載によれば、上記認定にあらわれた、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下、地教行法という。)第二三条第一号の規定に基づき、被申立人が御園小学校の廃止に伴つて行なつた一連の事務の執行を処分としてとらえる趣旨かとも解される。

ところで、市町村は、広く教育に関する事務を処理し(地方自治法第二条第三項第五号)、その一環として、区域内にある学齢児童を就学させるに必要な小学校を設置しなければならない(学校教育法第二九条)とされているところ、右市町村の設置すべき小学校は、地方自治法第二四四条にいわゆる公の施設にあたるものである。そして、同法第二四四条の二第一項は、「普通地方公共団体は、法律又はこれに基づく政令に特段の定めがあるものを除くほか、公の施設の設置及びその管理に関する事項は条例でこれを定めなければならない。」と規定しているところ、その法意は、地方住民の利用に供すべき公の施設の設置が当該地方公共団体の遂行すべき重要な事業の一つであり、かつ、一般に相当額の予算措置を必要とするものであることにかんがみて、地方公共団体における最も基本的な意思決定方式である議会の議決を経て制定される条例という法形式により直接個別的になされるべきものとしたものと解される。したがつて、市町村による小学校の設置は、条例という法形式によつて直接かつ個別的になされねばならず、条例によつて設置された小学校の廃止についても同様に、設置条例の改廃という形式をふむべきものと解される。

地教行法第二三条第一号は、当該地方公共団体の処理すべき学校その他の教育機関の設置、管理及び廃止に関する事務の管理執行を教育委員会の権限と定めているけれども、右規定は、地方自治法第二四四条の二第一項の上記のような法意にかんがみれば、その例外として、特に学校についてのみその設置、廃止の決定権限を教育委員会に与えたものとも考えられないのみならず、その規定文言そのものからみても、教育委員会の権限は、学校の設置、管理及び廃止に関する事務の管理、執行に属するものに限られているものであつて、設置又は廃止の決定そのものは、教育委員会の権限に属さないものと解される。そして、右設置又は廃止は、具体的な条例の定め等により、教育委員会の特段の処分によつてはじめて効力を生ずるという建前をとることも考えられないではないが、原則としては、条例の制定、公布のみによつて完結し、発効するものと考えられる。

本件についてこれをみるに、前記一の御園小学校の廃止に至る経緯に照らせば、被申立人のした、校区検討委員会に対する諮問、御園小学校統廃合方針の公表、関係者との交渉、予算措置具申の議決等は、廃止の準備行為にとどまり、御園小学校の廃止そのものは、前記条例の改正、公布によつて既に完結して効力を生じたものであつて、爾後における被申立人の前記規則の一部改正、また、申立人ら主張の御園小学校所属職員の人事に関する手続、最終になすべき校舎の封鎖等は、右効力を生じていることを前提とした、右廃止に伴う事後的な事務処理にすぎないものと考えられるところ、この判断を左右するに足りる事情の主張、疎明はない。そうすると、尼崎市議会のした前記条例の改正及びその公布を除けば、申立人ら主張の一連の行為の中には、御園小学校廃止の効力を生じさせる被申立人の処分なるものは存しないものというべく、したがつて、本件本案訴訟中被申立人を被告として本件廃校処分の取消を求める部分は、被告とすべき行政庁を誤つたか、あるいは処分性を欠く行為の取消を求めるものであつて、いずれにしても不適法といわざるをえず、したがつて、本件申立中本件廃校処分の効力の停止を求める部分は不適法であるといわざるをえない。

三  前記一の9乃至15の事実によれば、児童岡島広志、同岡島真理の保護者である申立人岡島末広、同岡島佐江子及び児童小升繁の保護者である申立人小升博、同小升勝子には、竹谷小学校に就学すべき旨の各就学指定校変更処分の取消を求める訴の利益があり、その効力の停止を求める本件申立は適法であると認められるけれども、児童大山泰代こと李泰熙の保護者である申立人大山哲司こと李相鉄、同大山順子及び児童高木孝造の保護者である申立人高木徳洋、同高木日出子については、自らの区域外通学許可申請に基づいて各竹谷小学校に就学すべき旨の就学指定校変更処分を受けておきながら、なおその取消を訴求する利益を有することを認めるに足りる事情の疎明がないから、その右各処分の効力の停止を求める本件申立は不適法であるというほかはなく、また、児童四方教裕の保護者である申立人四方盛夫、同四方玲子については、本件統廃合前からの竹谷小学校の校区へ転居し、開明小学校に就学すべき旨の就学指定校変更処分は取消されたから、右処分の取消を訴求する利益は失われるに至つたものというべく、右処分の効力の停止を求める本件申立は不適法であり、児童新谷光晴、同新谷美津子の保護者である申立人新谷正光、同新谷利子については、尼崎市外へ転居したにもかかわらず、なお尼崎市立小学校に就学すべき旨の就学指定校変更処分が効力を有するものとしてその取消を訴求する利益があるものと認めるに足りる事情の疎明がないから、右処分の効力停止を求める本件申立は不適法である。

四  次に、昭和五六年度新一年生となる児童の保護者である申請書別紙一覧表(一)一及び(二)一記載の申立人らの本件申立につき考察するに、処分の効力の停止は、本案判決確定に至るまでの哲定的措置として、単に将来に向つて当該処分の効力がない状態をつくり出すにすぎず、その場合には、判決確定の場合とは異なり、当該処分はなお取消されずに存在しているのであつて、効力の停止により、相手方行政庁が、本案訴訟の対象である当該処分を撤回してこれとは別異の処分をなすべき拘束を受けるものとは解しがたいところである。本件についてこれをみるに、仮に、本件就学校指定処分の効力を停止したとしても被申立人が申立人らの希望する御園小学校にその児童らを就学させるべき旨の就学校指定処分をなすべく拘束されるものではなく、またもとより当然に右処分があつたと同様な状態を作り出すことにはならず、それは単に、将来に向つて本件就学校指定処分の効力がない状態がつくり出された結果、右児童らにはその通学すべき学校がないという状態をもたらすにとどまるのであつて、右各処分の効力の停止を求める右申立人らの本件申立は、本件就学校指定処分により生ずる回復の困難な損害を避けるために何ら有効な手段たりえない。よつて、申立人らの本件申立はその余の点につき判断するまでもなく、失当である。

五  前記一の7及び14、15の事実によれば、申請書別紙一覧表(三)記載の児童の保護者たる申立人らの本件障害児に対する就学指定校変更処分の取消を求める訴訟は適法であり、したがつて、右各処分の効力の停止を求める右申立人らの本件申立もまた適法であると認められる。

六  そこで、以下、本件申立中、本件就学指定校変更処分の効力の停止を求める部分のうち、前記三において不適法と判断したものを除くその余の部分、及び、本件障害児に対する就学指定校変更処分の効力の停止を求める部分につき検討する。

まず、右各処分により、申立人らに行政事件訴訟法第二五条第二項所定の回復の困難な損害が生じるか否かであるが、申立人らが本件申立において主張するところは、要するに、本件御園小学校の廃校処分及び竹谷小学校、開明小学校に就学すべき就学指定校変更処分は、被申立人の教育条件整備義務に違反し、申立人らの児童らの教育を受ける権利、殊に学習を受ける権利、したがつて、申立人らの、その児童に教育を受けさせる権利を侵害するものであるというのであり、具体的には、申立人らは、児童の保護者として国又は地方公共団体に対して有する教育条件整備請求権の具体化したものとして、その児童らが、御園小学校の教育施設で、御園小学校に関係する親、教師、地域住民らの永年に亘る努力によつて整備されてきた教育環境のもとで、充実した教育を受ける権利を有するところ、本件廃校処分、就学指定校変更処分は、合理的理由なくして、児童が現に享受している適正な学習諸環境を侵害し、障害児への悪影響はもとより、全体的な教育条件の低下をもたらし、通学上の危険を増加させるうえに、排気ガス公害によつて児童の健康に対する危険を増大せしめ、更には地域における文化的中枢機能を奪い去り、児童の遊び場を消失させて、周辺領域の環境悪化を促進する、というのである。そして、右回復の困難な損害として主張するところも、右と同様の点にある。

ところで、就学通知を受けて市町村立小学校という営造物を利用する者は、法定の義務年限は授業を受ける権利ないしは法的利益を有するものと解されるが、さりとて、当該市町村内に複数の小学校が設置されている場合であつても、その者は当然に特定の小学校を利用する権利を有するものであると解すべき実定法上の根拠も見出しがたいところである。したがつて、本件就学指定校変更処分等により、申立人らに行政事件訴訟法第二五条第二項所定の回復の困難な損害が生ずるか否かを判断するにあたつては、申立人らが御園小学校を利用する権利を有することを前提とすることはできないのであつて、そうである以上、右の損害が生ずるものと認められるのは、右処分により、従前の教育条件等が相対的に低下するというだけでは足りず、それが、従前に比して劣悪になり、そのために著しい不利益を蒙ることになると認められる場合でなければならない。

本件疎明資料によれば次の事実が認められる。

1  御園小学校は、昭和五五年五月一日現在、児童数は三四一名、各学年二学級の編成で、一学級の児童数は平均三〇名に満たず、学級数は別に設置された障害児学級二学級をあわせても合計一四にとどまる。教職員数は、二七名である。右学級数から、いわゆる小規模校と見られているが、全児童数が少ないため、一人当たり校地面積、一人当たり運動場面積は適正面積の範囲を大幅に上回り、教室、校庭など施設は全体としてかなりの余裕がある。それは、校区内のいわゆる過疎化の所産である、といえる。

2  尼崎市においては、学校教育の重点施策として教育内容の充実、環境の整備等の目標を掲げるとともに、すべての市立小学校がなんらかの研究テーマをもつて特色ある教育実践を展開するという方針がとられている。御園小学校の場合は、昭和五四年度は「ゆとりと充実ある学校教育をめざして」をテーマに、昭和五五年度は「授業のプラン作り」をテーマに、それぞれ教育が実践されているが、上記1の所与の条件のもとに、手造り的教育として図工、体育などについての小集団方法の採用等、教科に対する創意工夫、集団活動に対する躾やルールの涵養の充実につとめる、七夕集会、耐寒訓練マラソンなどの校内行事の実施等を通じて、児童間の交流を縦の関係を含めた全校規模の幅広いものとする、給食研究とその実践により給食教育の目標を達成する、など、各方面に相当の教育効果をあげていることがうかがわれる。なお、体育館を開放して体操教室の開催に資するなど、地域住民との密接なつながりも存在する。

3  御園小学校においては、障害児教育が実施され、昭和五六年二月末現在六名の障害児(情緒障害児、知能障害児各三名)が在校し、教諭は男女各一名合計二名の専任制がとられている。授業は概ね健常児と同一学級で行われるが、そのため、申立人ら主張の如く、障害児に対する教育効果のみならず、健常児にとつても思い遣りある人間形成の大きな要因になるなどその教育的効果も認められる。

4  次に、御園小学校が廃止された場合における児童の就学先となる予定の竹谷小学校、開明小学校の教育条件について考察する。昭和五五年五月一日現在、竹谷小学校は、児童数合計八一八名、学級数合計二三学級、教職員数三八名で、中規模校に属し、また開明小学校は、児童数合計五一八名、学級数合計一五学級、教職員数二七名で、小規模校に属するが、両校とも、一人当たり校地面積、一人当たり運動場面積は適正な範囲からはずれるものとされている。施設については、竹谷小学校では家庭科室が、開明小学校では家庭科室及び図書室が未設置であるが、両校とも、理科、音楽、図工等の特別教室は備えており、校区内のいわゆる過疎化で、普通教室には十分のゆとりがある。前記各学校ごとの研究テーマとして、竹谷小学校は、昭和五四年度は「ひとりひとりの体力を伸ばす体育指導はどうあるべきか」、昭和五五年度は「全校で取り組む障害児教育」のテーマのもとに、また開明小学校は、昭和五四年度、昭和五五年度ともに「ひとりひとりを大切にする教育」のテーマのもとに、それぞれ特色ある教育を実践し、相当の教育成果をあげている。なお、施設の面では、昭和五五年に策定された尼崎市実施計画において昭和五六年度に竹谷小学校に家庭科室の、昭和五七年度に開明小学校に家庭科室及び図書室の、各設置が予定されており、また、校舎内装工事等、両校の校舎棟等施設の抜本的な整備の関係経費として、開明小学校関係一億三三三〇万円、竹谷小学校関係一億一八六〇万円が、昭和五六年度の補正予算に計上されている。

5  次に、右三校の環境について検討する。右三校は、いずれも、南北に約六九〇メートルを隔てて尼崎市内をほぼ東西に平行して通じる国道四三号線と国道二号線の中間に位置し、東から西へ、開明、御園、竹谷の順で並んでいる。その東西間隔は、開明、御園間が約二〇〇メートル、御園、竹谷間が約六〇〇メートルである。国道四三号線は特に車輌の通行量が多く、かねてから二酸化窒素汚染を中心とする公害が問題視されており、調査の結果、同国道から一五〇メートル乃至二〇〇メートル以内の地域に、影響が顕著にみられ、公害病認定患者が多数みうけられることが報告されている。

ところで、御園小学校は国道四三号線から約三三五メートル、国道二号線から約二七〇メートル離れた位置にあつて、右公害の影響が顕著にみられる地域からははずれており、学校周辺は車両の通行量の多い道路には面していない。その校区は、おおむね商業地域である。一方、竹谷小学校は、国道四三号線から約三七五メートル、国道二号線から約二五〇メートル離れ、右各国道からの位置関係は御園小学校のそれと比較的類似している。ただ、同小学校東側には南北に延びる県道出屋敷線が通じており、申立人らの調査によれば一時間当たり大型車一六二台を含む四三二台の車輌が通行する。そして、同所より東部に居住する児童らは登下校時には同県道を横断しなければならず、御園小学校区から竹谷小学校に転校することになる児童はほぼ全員これに該当する。もつとも、尼崎市玄番北之町、同南之町等、同県道の東側に居住する竹谷小学校区の児童は従前から同県道を横断して登下校している。竹谷小学校の校区は、おおむね住居地域である。また、開明小学校は、国道四三号線から約一九五メートル、国道二号線から約三七〇メートルの位置にあり、同小学校の西側には南北に延びる県道五合橋線が通じているが、申立人らの調査によれば、その一時間当たりの車輌の通行量は大型車四二〇台を含む一、二七二台とかなり多く、交通の激しい幹線道路である。同県道より西側に居住する児童らは登下校時に同県道を横断しなければならず、御園小学校区に居住していた児童の大半はこれに該当する。もつとも、西桜木町、東桜木町等、同県道の西側に居住する開明小学校区の児童は従前から同県道を横断して登下校している。開明小学校の校区は、おおむね住居地域、準工業地域及び工業専用地域である。右県道出屋敷線、五合橋線通行を含む交通事故対策として、竹谷小学校では、これまで全校児童に黄色の帽子の着用を義務づけ、警察、市交通安全指導課による街頭歩行訓練、校内交通安全教育などの指導が施されており、開明小学校においても通学路は関係機関と協議して、安全に通学できるよう配慮されていて、両校とも、登下校時の事故は発生していない。なお、県道出屋敷線、五合橋線には、いずれも、東西両側に歩道が設けられ、前者の西側歩道、後者の両側歩道は、いずれも安全柵によつて車道部と区画されている。東西に通じる通学路との交差点にはおおむね交通信号機が設置されている。右各県道沿いの通行及びその横断を除けば、歩行者専用道路や歩道の通行により通学にさして危険な箇所は見当らない。

また、騒音に関する申立人らの調査の結果は別紙(五)のとおりであるが、竹谷小学校では、交通の最も激しい東側県道出屋敷線に面する部分には管理室が多く、緑地もあつて、これまで授業に支障を来たした事実はなく、開明小学校においても、校舎は敷地の北側及び東側に設けられていて、西側県道五合橋線に面する部分は少なく、これまで授業に支障を来たしたという事実はうかがわれない。

6  ところで、被申立人の調査によると、御園小学校の児童数、同校校区内の年齢別児童数の推移、隣接校児童数の推移は別紙(二)表1、及び(三)表1、2のとおりであり、被申立人の住民基本台帳に基づく推計によると、廃統合をしない場合の御園、開明、竹谷三小学校、廃統合をした場合の開明、竹谷両小学校の昭和五六年度以降昭和六〇年までの各年度毎の児童数推計値は別紙(二)表2及び別紙(四)表1、2、3のとおりである(被申立人の調査、推計は疎明資料によつて若干数字が異なる箇所も見受けられるが、その誤差はわずかにすぎない。)。

申立人らは、御園小学校統廃合するに当たり作成された児童数の推計表の不合理性を主張しているが、児童数が年々減少していることは別紙(二)表1及び別紙(三)表1、2によつて明らかであり、殊に別紙(三)表1による〇才児から五才児の児童数をみれば、御園小学校区内においては昭和六〇年には、それまで右児童数には全く増減がないものとしても、第一学年から第三学年生は各一クラスになるものとうかがわれるところ、同表の数字からみるかぎり、右児童数は年々減少する可能性が高いものと推認せざるをえず、他方において現在以上に同校区内の人口増加が見込まれる要因の見当らないことを考えれば、被申立人が過去三年間の就学前増減数、入学時増減数、外国人数、学年進行増減数からその平均を求めて推計をしたことがあながち不合理であるとも言い切れず、被申立人の推計がそのまま現実化するとは断言しえないまでも、遠からず一学年一学級に近づくがため、何らかの対策が必要だと考えた被申立人の見解そのものは首肯しうるところである。

以上の事実に基づいて、御園小学校と本件統廃合後の竹谷小学校、開明小学校の各教育条件等を比較すると、一人当たりの校地面積、運動場面積など教育設備の面で竹谷、開明両小学校は若干御園小学校に劣り、大気汚染、騒音、通学途上の危険といつた環境面でも竹谷、開明両小学校が御園小学校に及ばない面のあることは、否めないところである。また教育内容そのものについても、御園小学校には、すぐれたものが多いことがうかがわれる。

しかしながら、従前の竹谷、開明両小学校における教育内容が、これに劣つているとみるべき事情の疎明があるわけでもないし、設備の面では、その従前の児童数の推移等にかんがみれば、右両校とも、所与の条件のもとで十分の教育効果をあげることができるものと考えられる。学校規模の面からみれば、竹谷小学校においては昭和五六年度で二六学級であり、校区検討委員の基準とする三〇学級を下回るだけでなく文部省の都市部における基準である二四学級をわずかに上回るにすぎず、開明小学校においては、昭和五六年度一八学級で、義務教育諸学校施設費国庫負担法施行令第三条第一項第一号の適正規模の範囲内にある。なお、現在の御園小学校程度の小規模校には、申立人ら主張のような種々の利点があるが、その反面、被申立人が指摘するような欠点も児童数の推移に伴い次第に増大するということが十分考えられるところである。

次に、本件疎明資料によれば、公害病認定児童は御園小学校に少なく、他の二校に多いが、その居住地は、多くは国道四三号線沿いに分布しており、児童は学校において年間の全生活時間の約二〇パーセントを過ごすのみで残りは家庭及び居住地区ですごすのが普通であることを考えれば、右認定児童の数のみから特に開明小学校自体が同国道による二酸化窒素等によつて大きな影響を受けているものとも認めがたく、開明小学校の同国道からの距離もその北端部においては御園小学校の南側とほぼ同じである点などを考慮すると、学校の環境として同国道との関係をみた場合に、両校の間に左程の差等があるとも思われない。また通学途上の交通事故の危険という問題は、幹線道路によつて校区を区画すべく努力するのがのぞましいことではあるが、それはともかくとして、都市部における今日の交通事情を考えれば、校区内に多少交通量の激しい道路が介在することになつてもそれはある程度までは已むを得ないことであり、また、騒音も、ある程度までは、同様に考えられる。なお、本件統廃合により、通学距離が長くなる向きもあるが、それは、最長でも一〇〇〇メートル程度となるにすぎない。

その他、申立人らが主張する、御園小学校の廃止は地域における文化的中枢機能を奪い、児童の遊び場を消失させるといつたような問題もないではないが、以上、述べてきたところから総合的にみて、本件就学指定校変更処分により申立人らの児童らの従前の教育条件等が一面において若干低下することは否めないところであるけれども、さきに述べたところからすれば、未だ右各処分によつて申立人らに回復の困難な損害が生ずるものとは認められず、他に右損害を肯認するに足りる疎明資料はない。

次に、申立人らは、障害児教育は日々の粘り強い接触と積上げによつてかろうじて可能となるものであり、一般的に障害児の環境への適応性は弱く、環境の変化によつて受ける影響は重大であつてしばしば退行現象を伴うと主張する。

確かに、健常児と異なり、障害児の場合には、右のような問題もあろう。しかしながら、本件疎明によれば、御園小学校における障害児四名中三名は現在殆んど普通学級で学習しているものであり、他の一人も、若干の時間を貸せば、新しい環境に順応しうるものであつて、また、同児らが仮に竹谷小学校へ就学することになつた場合においても、同校には障害児学級が設置され、前記の如く「全校で取組む障害児教育」をテーマに特に、交流学習を中心に、仲間づくり学習の時間を特設し、普通学級の児童にいかに関心を高め、障害をもつた仲間を理解させるか等広く研究が行われており、内容的には特に御園小学校と対比しても遜色のないものがあることがうかがわれるし、また竹谷小学校が不適当である場合には障害児には区域外通学が認められることにもなつているなど一応の受入れ体制、教育内容の充実が配慮されているのであるから、さきに述べたところからすれば、本件障害児に対する就学指定校変更処分により、関係申立人らに回復困難な損害が生じるものとは認められない。

そうすると、本件申立中、本件就学指定校変更処分及び本件障害児に対する就学指定校変更処分の効力の停止を求める部分は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

第三結論

以上の次第で、申立人らの本件申立はすべて失当であるからこれを却下すべく、申立費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 富澤達 松本克己 鳥羽耕一)

廃校処分等執行停止申請書等〈省略〉

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